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庶民の憧れだった洋風建築そしてマントルピース
山田さんが日本の伝統建築に目覚ることになったのは、本格洋風建築住宅をリサーチするために行ったアメリカ旅行だった
そうで「大工さんを始めて、5年くらい経ってその当時は洋風住宅を作るときにプリントベニヤって使うんだよ。5ミリくらいの合
板に木目のやつを壁にはりつけて、当然柱が見えないで作るんだけども、そこにマントルピースというか火のつかない暖炉風
な物があって、客間に作るのが当時ステータスだったんだよ、ボクはそれが洋間だと思っていたの(笑)「でも映画やテレビで
映る洋風の家の中は全然違うんだよ!(笑)「名犬ラッシー」に出てくる家とかね」その話を聞いて驚きました。うちにも確かに
ありました。洋間にタイル張りのその物が。他に使いようもないので、ストーブ置き場になるか中途半端な不思議な物として幼
い頃の記憶として残っています。あのマントルピースは豊かな時代に憧れた庶民の夢だったんですね。幸せの象徴の形は変
遷していきます。
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転機となったアメリカの旅
「これは見にいかないと。と思って、アメリカ行ったの。3ヶ月ビザ取って、向こうで一ヶ月レンタルできる車を借りて向こうで建売住
宅だとかさ、物件のチラシを一生懸命集めて地図載ってるからレンタカーで現地に行くわけ、向こうの建売住宅って規模がスゴイ
んだよ。一気に何百棟、何千棟と作っちゃうの。一つの街ができちゃうの(笑)なんとかウッドヒルとかさ、結構洒落た名前の街が
できるわけ、事務所へ行くとその横に何種類かのモデルハウスが建っていて、事務所に十畳くらいの箱庭があって、山があって、
川があって、サイコロくらいの大きさのピンで家の場所が示してあるんだ。モデルハウスを見たり建築途中の家を見たり毎日そん
なことやってたの」
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日本建築の美しさがいいなあっていうのが、初めて気づいたの
「そんなこと一ヶ月二ヶ月やってたら向こうの家に飽きてきて(笑)はじめはスゲエなーってドキドキして面白かったけど、あるとき
資料や写真もだいぶ集めてきたから、向こうの本屋さんに行ってあまり英語が載ってない建築の写真やイラストが沢山乗ってる
本をシーメールでダンボールに入れてどんどん家に送っていたの」「たまたま日本語のジャパニーズハウスの特集というかそう
いうのが何冊かあって、面白そうだなあって思って見たら日本建築の美しさがいいなあっていうのが、初めて気づいたの。外国
の本屋さんで。(笑)面白いでしょ。こっちは洋風建築を勉強するために外国へ行ったのに日本の建築の良さに改めて感動して、
それで日本に帰ってきたの。だから洋風の家はその時点で全然興味なくなった。(笑)帰国して足しげく通ったのは京都で町屋
を見に行ったりとかさ」
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和風のエッセンスを取り入れてあげたいなっていうのはあるよね
自分が皮膚感覚で求めていたのは、外国の建物ではなく日本の伝統建築の中にあった。本来建物はその土地の気候風土に
由来したものの結果、そのデザインに帰結する。山田さんはそのことを強く感じてその後の家づくりに邁進していきます。
「できるだけ日本デザインを取り入れてあげたいなあという気持ちがあって、ただ住む人が生活様式が洋風になっちゃって
るからねデザインだけでも和風のエッセンスを取り入れてあげたいなっていうのはあるよね。」
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