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歴史ある街小田原に受け継がれていた職人達
正直、小田原にこんな会社や集団があるなんて小田原に住んでいた私も知りませんでした。
小田原にはミニハウスメーカーしかないのでは?と思っていましたが、環境や家など人をとり
まく問題として捉えている人たちがいることを知り、改めて歴史のある街、小田原の底力を感
じました。
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企画どおりのものがない。でもそういうのは僕らにとっては逆にやりがいがある
見積もり依頼の件で村山事務所から連絡があったときのことを岩越さんが話しくれました。
「最初村山先生から電話がかかってきたときは、ピンと来なかったんですよ。村山先生だと
は思わなかった。知ってたんだけど、「うちは相みつはやるような工務店じゃない。結構です」
って思ってたの。電話切ってから、村山?聞いたことあるなあ?あっ!あの先生だヤバイ!
「逆にやらせてください。スミマセン。」って。(笑)」「前から村山先生を知ってるし、ものづく
りの原点を設計の側から見ている人かなあ」「普通工務店側から見ると大変なのは目に見
えてる。決まったものがない。企画どおりのものがない。でもそういうのは僕らにとっては逆に
やりがいがある。」
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左官を語ると熱い人
水土社の事務所に初めてお邪魔したとき、左官のサンプルや榎本名人が磨いた作品の説明
をする岩越さんの目は一番イキイキしているなあ、と思ったことがあります。本当に左官が大好
きで、その話をすると止まらなくなってしまう、熱い人。それが水土社の岩越さんです。
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ロビンソンクルーソーに憧れた子ども時代
岩越さんは小田原市出身。大学を卒業した後は、幼児教育や塾など子どもの教育に関わる
仕事をしていました。建築に興味を持つきっかけは「自分で家を建てたいっていう夢があって、
僕はもちろん建築、大工さん、職人に仕事を学んでいた訳ではなくて、衣食住は自分ででき
ないのかなあって思って。僕らの世代から自給自足が身近になくなってきてしまって、なんで
も人に頼んでお金払って生活してる訳じゃないですか?でも、昔の人の話を聞くと皆自分で
やっていたと。それは苦労話しなんだけど、僕にとっては逆に憧れで、なんでもっと自分で
できないんだろう?と。そういうのは子どもの頃からあったの。僕の場合。ロビンソンクルー
ソーに憧れていたの。離れ小島に行って自分で生活するね。」
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始まりは夢の丸太小屋
「夢の丸太小屋っていう本があって、丸太小屋ブームのはじまりで、大工さんの家作りだった
ら難しいけど丸太小屋だったらできそうだなという、先輩が作っているのを見て、これなら自分
でやれそうだって。非常に安易な気持ちで始めて(笑)」
「当時は子どもの塾をやってたから、その子ども達のプレールームを作ろうと。(笑)3坪だよ。
そしたら結果そんな甘いもんじゃなかった。基礎工事から全て教わりながらだったけど、当時は
「基礎工事なんて簡単だ」と。「枠入れてコンクリ入れるだけだろ?」と。これが以外と実は段取
りを失敗すると、大変なことになると。(笑)板金もね、「屋根を張ればいいだけだろ?俺にもでき
る!」って。(笑)ところがね、ちょっとカッコウつけて斜めにしてみたり(笑)」
「ところがこの板金厚いブリキ4ミリの波板を斜めに切るのはいかに大変か(笑)まわりの細かい
収まりは板金屋さんは考えてるんだよね。素人は葺いてるとこしか見ていないんだよね。そういう
細かいところをいろんなものを自分で教わりながら、道具の使い方も教わってそういうことをひと
つひとつ積み重ねてやっていて、最後にわからなかったのが左官屋の仕事」
簡単だ。俺にもできる。そう思い立って初めた趣味の丸太小屋は、それまで見えなかった職人の
技術の深みを知ることになります。
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つづく
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