無垢の木と左官使いの里山のような集合住宅



茄子紺四角ボタン小田原集合住宅はくれん舎設計

村山建築設計事務所/村山雄一
小田原に合う建物を

集合住宅を小田原に建築する。そう心に決めたとき、お願いするのは「村山先生しかいない。」と思っていました。自然が豊かな小田原。
この土地にはただ奇をてらった建物や、土地の風土を無視したり、建物だけで完結しているような、そんなひとりよがりな建物は似合わ
ないと思っていました。どこか自然を感じられて、昔からその土地にあるような存在感のある建物は村山先生しか造れないと思っていま
した。ネットが普及するこの時代に、村山建築設計事務所はHPがありませんでした。事務所の連絡先を探す。まずはこれが一苦労でし
た。何かの情報でやっと事務所の電話番号を入手でき、なんの紹介もなく突然事務所へ電話し、「先生はアパートに興味がありますか?」
これが村山先生との初めての出会いでした。

自称「落ちこぼれ」。でも自分には自信を持っていたねえ、やればできるんだって

建築家の先生ってどんな方だろう?そんな人は周りにはいないし、どんなことを話せばいいんだろう?緊張しながら、初めて村山事務所
を訪れた日のことは今でも深く印象に残っています。ただ、そんな心配も必要がなかったと後で判りました。村山さんが建築家を志すキ
ッカケとなったのは、「最初は数学が得意だったから、志すのは数学かと思ったんだけど、前から工作とか絵が好きで、その方向に行く
のだと思っていました。大学受験の頃はちょうど代々木体育館ができた頃で、あれを見て建築科へ進むキッカケですね」
大学時代はボート部の活動に情熱を燃やしていたそうで、「大学を出たら誰か(建築家)につこうと思ってたのね、でも、大学の時は遊
んでいて、優秀な成績じゃなかったから。入るときは優秀だったと思うんだけど、ボート部に入って身体を作ろうと思ってたから(笑)」
「そんな成績だと優秀な事務所には行けない訳ね。他の学生は皆建築家の事務所に入って、アルバイトしたりコネを作っているんだけど、
そんな事は全くしていなくて、当時は落ちこぼれよね。(笑)」今の物静かな悠然とした佇まいの村山さんからは「落ちこぼれ」のイメ
ージは想像できません。「でも、自分には自信を持っていたねえ。やればできるんだって。成績が当時悪かったから優秀な事務所には入れ
なくて(笑)」

近代建築、そしてシュタイナーへ

「大学出てから就職もままならなかったからね。講師に来ていた木村先生という方がいて、その方に拾われて…..。木村さんという先生は
NHKの建物をやられた方で、大変優秀な方でしたねえ。その先生の元で設計を5年くらいやって、近代建築の勉強をして、一級建築士の資格
もとって。それからドイツへ行ったんです。」「ヨーロッパに渡る前は近代建築の手法をそんなのを学んでいて、シュタイナーとは全然違
うし、自由にやらせてもらっていたから。そこで近代建築家になるためのトレーニングはしたと思う。いろいろと。今活躍されている建築家
の作品を見ると、やろうとしていることは解る、こういう方向だなと。」「その傍らシュタイナーをやっていて、シュタイナーに入ったのは、
僕はシュタイナー建築はあまり感じなかった。むしろ疑問が大きかった。なんでこの世の中にこんなこと真面目にやってる人がいるんだって(笑)
何か(シュタイナーに)あるんじゃないかなあって。だから人を研究して。シュタイナーの思想を研究していた。シュタイナーの自叙伝の翻訳
をやったりとか。シュタイナーという人の研究。それでその過程でどんどんシュタイナーに魅かれていって。卒業してから5年くらいシュタイナ
ーの研究会を開いたり、読書会を開いたり。それが今のシュタイナーの運動の元なんじゃないですか?」

近代建築を設計する傍ら、シュタイナーに強く魅かれてドイツで勉強し、自分の中で多くの位置を占めたと思っていたものは日本の建築とリンク
して、後の誰が見ても「村山先生の作った建築だ」と判るような作風を帯びてきます。
「行く前は優秀な建築家の近代建築を勉強していたし、シュタイナーを同時に勉強して、シュタイナーの影響がこれほど自分に強く作用するとは
思っていなかった。」シュタイナーという言葉を知らなくても、村山先生の建物を見ると、何も理由や説明を要しなくても、理屈は抜きの心地良
さを感じられてしまう不思議な魅力を持っています。何々風ではなくて、あえて言えば「村山風」。和風とも洋風ともいえない、どんなカテゴリ
ーにも属さない独特の雰囲気が特徴だと思います。


つづく

       
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