無垢の木と左官使いの里山のような集合住宅



茄子紺四角ボタン小田原集合住宅はくれん舎施工

ヤマダ建築工房/山田勲
セミナーでの出会い

親方という言葉を聞いて、最初に頭に浮かぶ言葉は、「怖そう」「頑固そう」ですが、あしがら職人(つくりて)の会、大工の
親方である山田さんは、そんな言葉とは正反対の穏やかな方です。初めてお会いしたのは、あしらが職人(つくりて)の会
のセミナーで遠くからお目にかかっただけですが、学校の先生のような穏やかな雰囲気に、大変驚きました。実は私の父
親が大工の親方をしていて、大変厳しく、いかつい人だったので、自分の中にあった大工のイメージが崩れたような気が
しました。

勉強しながら稼げる大工さんは丁度いいんじゃないのかなあと

山田さんは高校卒業後、大学の建築学科を目指しますが、「当時自分の行きたい建築学科は40倍の競争率で、他は行
こうとは思わなかった」「それで勉強しながら、お金を稼げる大工は丁度いいんじゃないのかなあと、その時は大工さんに
なろうとは思ってなくて、進路を決めたのは、高校の秋」そんな山田さんが大工さんの道を考えたキッカケは、「僕が住んで
いた家は非常にバラックで、なんでうちは大工なのにこんな家に住んでなくてはいけないのか?」その話を聞いて、私の子
ども時代が真っ先に頭に浮かびました。確かに職人の家には、優雅に庭なんてなくて、あるとしたらそこは材木置き場か、
トラックの駐車場。材木置き場は猫の集会場、うちの屋根も壁も確かにトタン仕様で、近所の女の子から「○○ちゃんの家
って近所で一番汚いね」と言われて正直その通りなので、反論もできず悲しい気持ちになり、近所の綺麗な家や庭がとて
もうらやましかった覚えがあります。人の家を綺麗に作っているのになぜうちはこうなんだろう?山田さんの子どもの頃の
気持ちは私の幼い頃の気持ちと全く同じなので、とても共感を持ちました。

環境の配慮は時代が求めたもの

子ども時代の山田さんは「絵や工作を作るのが大好きな子どもで、自分でもこういうのが得意なのかなあ、手先が器用な
んだ」と自覚していたそうで、それが今に繋がっているのでしょうか。山田さんの造る家はモダンデザインと伝統技術の融
合や、気候風土に根ざした環境共生住宅を得意としています。「時代が必要としているから環境に配慮した住宅が求められ
ていると思ったほうが適当かもしれない」「昭和40年代過ぎに始めた頃は、家を沢山造らなければいけない時代だった。
昔は石膏ボードなんてないから竹の舞を組んで、泥壁を塗って漆喰だとか、半年だとか1年、2年だとか建築工事期間は
長かったんだよ」「だけどそんな時代だと沢山家を造ることができないじゃない。そこで必要になって石膏ボードだとか
合板が出てきたりと必要な時代背景があったんだよ」

もう一度原点に戻って軌道修正しようという過度期なんだと思う

「そういうものが定着してくると、どういうわけだか人間の身体って変化してくるのかね。結局そういうものは接着しなくちゃい
けないじゃない、で、カビが生えるようになったら防カビ剤を撒かなければならないし、それで、腐ったりしないようにホルマリ
ンをつけなくてはならないし、それが空気と酸化してホルムアルデヒドになってきて、昔の人は免疫があったのかあまり反応
しなかったけど、そういうもので包まれる状態になってポツポツと反応してくる人が増えてきちゃってね」「これじゃあ我々なん
の為に家を造るのかやっぱりそこに幸せな家庭を作っていくと考えれば、そんな住宅造りは許されない訳で、もう一度原点に
戻って軌道修正していこうという、そういう今過度期に来ているんだよ。そういう時代が来ているんだよ。」「ベニヤって今は悪
者扱いされてるけど、さっき言ったように必要に迫られて出てきた素材で、耐久性がなくなるけどホルマリンを使わないような
合板作りになってきて、そうすると、今度は耐久性どうなるのかなあとか、また20年ぐらいしたらまた一つの曲がり角がある
んだと思うよ(笑)」

つづく


     
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